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ピッチの向こう側 その12

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【中倉一志=文・写真】
次の20年に向けて その1
2014年9月29日。アビスパ福岡は創業20周年を迎えた。何も分からないままに、よちよち歩きを始めたクラブも今年で20歳。果たして、1人前になったかどうかは評価の分かれるところだが、とにもかくにも、ひとつの節目を迎えた。その年に、システムソフト社、ならびにアパマンショップホールディングス社が、新たに経営陣に加わることが決まり、金森健志が、山下芳輝以来16年振りとなるアジア大会出場を果たしたことに、何かの縁を感じずにはいられない。なお、現在、チームはプレーオフ進出をかけて激しいサバイバルレースを戦っているが、最終節を終えた時、20周年にふさわしい結果が出ていることを願っているのは私だけではあるまい。

福岡にJリーグが生まれるきっかけとなったのは、Jリーグの誘致を求める福岡県民・市民50万人の署名だった。その活動により、福岡市はJリーグの誘致を決定。七社会をはじめとする地元有力企業とともに、中央防犯FC藤枝ブルックスの誘致に動いた。当時、藤枝ブルックスはJリーグ準加盟チームとしてJFLに参戦中。藤枝市内にJリーグの基準を満たすスタジアムがないことから様々な道を模索していたが、最終的に両者の想いがひとつになったことで、チームの藤枝市から福岡市への移転が決まり、福岡ブルックス株式会社(現アビスパ福岡株式会社)が設立された。

アビスパ福岡の公式ホームページには「1995年から正式に活動を開始した」と記載されているが、それは福岡ブルックスというチームが活動を開始したという意味。当然のように、チームが活動を開始するためには、リーグ参加に関わる諸手続きの他、経営基盤の基礎づくりや、クラブの体制作り、1995年シーズンに向けてのチーム編成等々、様々な準備が必要で、準備期間とは言え、クラブの根幹が決定された重要な時期。設立時には、チームは、まだ中央防犯FC藤枝ブルックスとして1994シーズン(JFL)を戦っていたが、アビスパ福岡というクラブは、1994年9月29日に重要な一歩を踏み出したと言える。

福岡ブルックスは、1995シーズン(JFL)を24勝6敗で駆け抜けて、翌シーズンからのJリーグ参入が決定。その際、チーム名である「ブルックス」が、紳士服メーカー「ブルックス・ブラザーズ社」の商標であり、商標権侵害の恐れがあったため、チーム愛称のみ「アビスパ福岡」に改称。当時は多くのJクラブが「会社名」と「チーム愛称」のふたつの名前を有していたが、福岡もその例に倣うこととなった。その後、2006年には会社名も「アビスパ福岡株式会社」に改称。チーム愛称と会社名を同一にして現在に至っている。

これまでの20年間には本当にいろんなことがあった。「Jリーグ参入の決定」「神を見た夜」「初めてのJ2降格」「2004年シーズン終盤の8連勝」「柏との入れ替え戦」「昇格を決めた徳島戦」「神戸との入れ替え戦と2度目の降格」「歓喜の福岡空港」「3度目の降格」「昨シーズンに発覚した経営危機」、ざっと頭に浮かぶものだけでも、これだけのものがあり、そのほかのことも含めて、いくつものシーンが昨日の事のように蘇ってくる。思えば、いいことよりも、悪いことの方が多かったように思う。けれども、その全てがアビスパ福岡の歴史。その全てが成長の糧となる。

今日から、次の20年に向けての第一歩。その未来が輝かしいものであることを願っている。
(続く)


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