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身に付けた逞しさ(金森 健志)


【中倉一志=取材・文・校正】
環境と責任は人を大きく変える。成長を続ける金森健志を見ながら、改めて実感している。
昨年の8月に、アルクディア国際ユースサッカートーナメントに出場するU-19日本代表に選出された時は、年代別代表に初めての選出だったこともあり、まだ代表選手が持つオーラのようなものは感じられなかった。また、プロ選手としての道を歩き始めてから半年程度ということも手伝って、代表選出の感想を求められても、誰でも口にするような、ありきたりのコメントを残すだけ。その言葉は、あくまでも儀礼的な物で、そこから国を代表して戦う決意や責任のようなものを感じとることはできなかった。

そんな彼に変化が現れたのは、まずは技術面からだった。アルクディア国際ユースサッカートーナメント出場のため、2試合を欠場した後、第31節水戸戦でJ2リーグに復帰した金森は、以前にも増してドリブルで仕掛けてゴールに向かうシーンが増えた。「代表に行ったことで自信がついた。代表チームで経験したことがチームに帰って来て自分の特長として出せるようになってきた」とは、当時の金森のコメント。ドリブル突破やゴールに向かって仕掛ける姿勢は、もともと金森の持ち味ではあったが、明らかに、その回数が増え、キレ味が増していた。そして、第33節から3試合連続ゴール。復帰してから最終戦までの12試合中10試合に出場して(2試合は累積警告のために出場停止)、5ゴールを記録する。

この間、金森はU-20日本代表としてミャンマー遠征にも参加。リーグ戦の合間を縫って行われたU-23ミャンマー代表との試合に先発出場を果たしているが、帰国後に行われたJ2リーグ最終戦では鮮やかなゴールを決めている。

連続して代表チームに呼ばれたこともあり、金森の口から具体的に「リオ五輪に出場したい」という言葉が聞こえるようになっていく。そして2014年1月にU-21日本代表に選出され、AFC U-22アジアカップ2013に出場したことが、更に金森を変えていく。そのきっかけになったのは、大会期間中に中島翔哉(富山)と同室になったこと。U-21日本代表のエース格である中島が、ピッチ外でも時間を惜しまずにサッカーに取り組んでいる姿に刺激を受けた。そして、帰国後、金森は9月のアジア大会の事を口にするようになるが、リオ五輪を含め、それが単なる目標から、具体的な目標に変わっていることが、言葉端々から窺えるようになり、先行していた技術面の変化に、少しずつ、少しずつ、精神面での変化が加わるようになっていく。

そして、8月に福岡で行われたU-22日本代表候補トレーニングキャンプのメンバーに選ばれたことで、その変化が一気に加速する。キャンプ初日、手倉森誠監督(U-22日本代表)は、最初のミーティングで次のように選手に話した。

「いかに厳しい気持ちでU-21の活動に挑めるかということが大事。ただ呼ばれて代表で活動をするという軽い気持ちではなく、我々には大きな役割がある。W杯で悔しい想いをした選手たちに代わってやらなければいけない若手選手の競争が、今日始まった」

それは、トレーニングキャンプの目的がアジア大会のためだけにあるのではなく、ブラジルW杯の雪辱を果たすための日本サッカー界のスタートであり、ロシアW杯で日本を背負って戦うのは、そこにいる若い選手であり、同時に、その責任を負っているのだという強烈なメッセージだった。それが、金森を触発したことは想像に難くない。金森の目は、それまでのものとは明らかに違っていた。

アビスパに所属する選手がアジア大会に出場するのは、1998年大会に出場した山下芳輝以来、16年振り2人目のこと。地元メディアの注目度も高く取材が殺到したこと、更には、福岡県知事、市長への表敬訪問、スポンサー各社への挨拶回り等々、代表選手としての活動が増えたこともあり、その言動に、代表選手としての責任と自覚が強く感じられるようになる。その変化は日に日に加速し、8日にアジア大会に向けての最終キャンプに参加するために福岡を立った金森は、U-22日本代表候補トレーニングキャンプの初日とは、まるで別人のように逞しくなっていた。

いま金森は、ロシアW杯を具体的な目標として捉えている。それは、これからも人一倍の努力を重ねることでしか達成されないことも知っている。そして、その権利を手にするためには、アビスパ福岡で、代表チームで結果を出し続けることが最低条件であることも知っている。その金森が、アジア大会でどのようなプレーを見せるのか。日本に戻ってきた時に、どんな変化を見せるのか。今から楽しみでならない。


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